2008年12月30日
世田谷の四季
今年もあと一日を残すだけとなりました。
街は新年を迎える人々で混雑しています。
そんな街の一角に「サンクロース」が立っているのを見つけました。
クリスマスイブからおよそ一週間たちましたが、
『あわてんぼうのサンタクロース』ならぬ『おいてけぼりのサンタクロース』となってしまいました。
「北のサンタの村」では、いまごろ「赤鼻のトナカイ」であるルドルフを始めとするトナカイたちがこのサンタクロースを探していることと思います。
ルドルフに会ったら、「世田谷通り沿いの馬事公苑近くに、サンタクロースが迎えを待っている」とお伝えください。そして、来年も待つことにしましょう。
2008年12月25日
来訪者
今年の干支は「子」。その子年が終わりに近づき、一年中「ネズミ」を追いかけていた「ネコ」が疲れたと見えて、この写真では、骨休めをして居るように見受けられます。
農作物が古くから生産されている世田谷区では、農作物とくに穀物を食い荒らすネズミを追いかける(「はずの」:今は・・・?)ネコが人間とともに生活を始めたのも古いことなのでしょう。
豪徳寺の「招き猫伝説」も身近に聞かされています。
2008年12月23日
来訪者
12月21日は冬至。その翌日は、気温が上がりました。その陽気に誘われたかのように、2.5センチほどの若芽が鮮やかな緑色を地上に姿を現しました。その傍らに落ちている梅の種もかつては緑色をしていたのですが、いまやその色を若芽に譲っています。真冬とはいえ、世田谷区の自然界の来訪者のなかには、空からやってくる生き物のみならず、「春を待ち焦がれている」かのように、足元からもやってくるものもあります。
2008年12月18日
世田谷の四季
10月9日に取り上げた『世田谷環境スタッフ養成講座』が12月13日に最終日を迎えました。この写真は、参加者が最終日に「世田谷を表す50選」を画面で確認しているところです。
あんな場所・こんな風景、あの自然・この建物などを改めて確認して、「世田谷区内に40年住んでいるけれど、初めて見た」とか「そういえば昔は・・・・」などの感想が聞かれました。
2008年12月17日
世田谷の四季
12月14日は雨、そして、17日も雨。その両日にはさまれた15日と16日は、快晴で冬の日差しも心地よく降り注ぎ、風も穏やかな「せたがやのボロ市」日和でした。桜小学校と桜木中学校の鼓笛隊によるパレードが行われた15日には21万人もの人出を数えました。
15日と16日の暖かさに誘われて、茨城県や千葉県を始めとする都外からの来街者も「せたがやのボロ市」での買い物をを楽しまれました。
名物の「代官餅」や物産市での売り上げも順調の様子でしたし、250万円のミンクコートが80万円に値下げされて来街者の関心を引いておりました。
来年1月15日と16日にも開催されますが、とくに、15日には国士舘大学生によるブラスバンド・パレードが予定されておりますので、賑わうことと期待されております。
2008年12月14日
世田谷の四季
いよいよ明日15日、明後日16日に「せたがやボロ市」が開催されます。
警察、消防そして「せたがやボロ市」保存会のテントが代官屋敷前設営され、
『祝ボロ市』の横断幕も掲げられて、当日の来街者を待つだけとなっております。
本日は雨ですが、予報では「15日・16日は雨の心配は無いが、寒い」とのことですので、暖かくしてお出かけください。
2008年12月13日
世田谷の四季
10月27日に本稿で紹介したように、9月17日に咲き始めたアサガオは10月28日に
37輪も花をつけ、11月2日まで連日咲き続けておりました。
そのアサガオは、いまや写真のように種子を包み込んだ姿を見せております。
自然にはじけて、来年、また、花を咲かせるのを楽しみに待つこととします。
2008年12月13日
世田谷の四季
「干し柿」がちょうど食べごろです。日本のドライフルーツの代表である「干し柿」が、我が家のベランダでちょうど食べごろになりました。
師走に入り忘年会、さらに、年始の新年会。
とかく『酒』と仲良くなる機会の多いこの季節には、柿とくに「干し柿」は二日酔いを直してくれるので、重宝です。
2008年12月07日
世田谷の四季
徳冨健次郎(蘆花)は『みみずのたはこと』のなかで、「甲州街道に肴屋(さかなや)はあるが、(中略)肴屋の触れ声を聞くことは、殆ど無い」と大正元年12月29日武蔵野粕谷の里にて記しています。また、ちくま文庫(680)種村季弘編「東京百話・天の巻」(26~34頁)には寺田虎彦が昭和10年5月に発表した『物売りの声』が収録されています。そのなかで寺田は、「売り声の滅びて行くのはなにゆえであるか、その理由は自分にはまだよくわからないが、しかし、滅びていくのは確かな事実らしい。(中略)どこか適当な政府の機関でそういうアルキーヴスを作ってはどうでろうか。ついそんな空想も思い浮かべられるのである。」と記しています。そして、寺田は、霜夜の辻占売りの声について(明治35年ごろ)、「妙に澄み切った美しく物さびしい呼び声を聞いた。その声が寒い星空に突き抜けるような気がした」と表現しています。
さて、世田谷区に在住されている「日本でただひとりの『江戸売り声』和風漫談家」である宮田章司師匠は、『江戸の売り声百景(岩波アクティブ新書74刊)』を著しています。暦を見ると「大雪」である本日(12月7日)あたりに欲しくなる石焼芋の売り声について、「今おなじみなのは、『いーしやぁーーきぃいもぉー、やーきたてぇーー。いーしやぁーーきぃいもぉーーー(石焼き芋、焼きたて。石焼き芋』ですね。最後の『もぉーーーー』とだんだん音が流れていくのがいいでしょう。情緒があるでしょ。これが『いしやきいもっ』じゃあ、なにも伝わらない」と、『江戸の売り声百景(119~120頁)で述べられています。
この写真は、著書の表紙にみる舞台衣装姿の師匠と師匠が好きな言葉である『江戸の夢』の直筆です。
『江戸の売り声百景』についているCDに耳を傾けながら、徳冨蘆花や寺田虎彦が著していた「触れ声」や「物売りの声」を思い起こすのもよいかもしれません。

